官僚の世界


 ‥‥リアリティに関する偽りの説明が受容されつづける理由は、それを正せる人々が現状に満足しているからか、その正そうとする声が小さすぎるからか、のどちらかだ。
 現状から利益を得ている人々はつねに存在する。リアリティに関する偽りの説明はその現状維持に役立っている。権力者たちは、現実のより正しい説明がもたらしかねない自分たちの境遇の変化を、どのような変化であれ、たいがい恐れる。
 とくに官僚は、その変化が自分たちの組織を強化することが確実なとき以外は、一切の変化を拒もうとする。国内情勢が流動的でない状況こそ、彼らが現在の権力の椅子にしがみついていられる最善の保証なのだ。そのため、世界のどこの官僚も、現状維持に最大の労力を注ぐ傾向がある。日本はきわめて激しく官僚主義化されているので、現状をそのまま維持しようとする特別に強い圧力に支配されている。そして、なんとか現状を維持しようというその目的のために、偽りのリアリティ像を守り抜くことがとくに必要なのだ。
 公式には民主主義国である日本が、なぜ、これほど大がかりに官僚に支配されつづけているのか。これは、日本の市民がつねにみずからに問うべき最大の問題である。なぜなら、官僚たちは市民による選挙で選ばれた人たちでも、市民の正当な代表者によって任命された人たちでもない。
 官僚たちは、政府の省庁に勤めているというだけの理由で権力を手にしているにすぎない。彼らがこれらの役所に入れたのは、たまたま東大の入学試験に合格できたからという場合がほとんどだ。それでは、彼らは東大で、国家運営に必要な英知をたっぷりと吸収してきたとでもいうのか。いや、そんなはずはない。 ‥‥

「人間を幸福にしない日本というシステム」
(カレル・ヴァン・ウォルフレン著 毎日新聞社刊)から抜粋
「人間を幸福にしない日本というシステム」 概略

 

さらにこんな↓環境で働いていては、国民のためにという気も失せる。

以下「霞ヶ関の掟 官僚の舞台裏」 から抜粋

‥‥深夜0時前後になる終電で帰ることができる職員はほとんどいないのだ。しかも、僕のような若手の官僚は、一番最後まで仕事をしているので、絶対に電車で帰宅することはできない。
 霞ヶ関は営団地下鉄の丸の内線、日比谷線が通っているが、冗談抜きで霞ヶ関にいる間は、地下鉄は朝しか走っていないものだという錯覚に陥っていたのである。
 ある日、何カ月ぶりかに、電車で帰宅できたことがあった。しかも、奇跡的に翌日も電車で帰宅できた。僕は、嬉しくて嬉しくて、思わず大学時代のサークルの女の子に携帯で電話をかけた。
「今日ねえ、電車で帰れるんだよ」
 本当に、その時は嬉しかった。2 日連続で、電車で帰宅できるなんて、夢のような生活だと本気で思ったものだ。しかし、冷静に考えたら世間般の多くの人がそこまで忙しいのだろうか。
 そんな些細なことで、死ぬほど喜んだ自分が悲しかった。

‥‥さらに、あまりの忙しさや仕事上の責任の重圧に耐えかねて、過労で突発的に自殺する人もけっこういる。列車に飛び込んだり、役所の屋上から飛び降りるのがポピュラーな方法のようである。
 僕の働いていた省庁の屋上や渡り廊下には、飛び降り自殺が続発したので、ついには自殺防止のための金網が張られてしまった。震ヶ関の心霊スポットの1 つである。
 ところで、自分の省から飛び降りるのは気が引けるのか、某省は一時期投身自殺のメッカになっていたらしい。その某省庁が、僕の職場だった。警備が甘いからなのかなあ?
 また、過労による入院も多い。精神に不調をきたす人もいる。とくに、まじめで仕事を抱え込む良心的なタイプの人が犠牲になるのだ。

‥‥ところで、日本人の総労働時間は平均で1900 時間である。去年、僕は月に220時間残業していたから(正規の勤務時間の1 日8時間を除いてである)、1年にすると残業時間だけで、日本人の総労働時間よりも多く働いたことになる。
 総労働時間を、貰った残業代で割ると、時給は1時間当たり220 円になる。
 コンビニのバイトの時給より、安いのである。

‥‥キャリア官僚に、有給という制度は存在しない。
 人事院がうるさいので、出勤してきた日に休みを取ったことにしてしまう。だから、出勤者帳簿の改ざんを国家規模でやっているのである。これを、民間企業が行なえば犯罪である。帳簿をみれば、公務員は休みがあるように記録されている。だから、マスコミも情報公開された帳簿だけをみて、公務員は休んでいるという。
 それは、嘘だ。
 出勤してきても休んでいることにしてしまっているだけなのだ。

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