独善的な安倍政権が支持される理由 
民主主義よりカネが大事な日本人
   内田 樹
(週刊金曜日から)

独自の歴史観で近隣諸国はもちろん米国とも軋轢を生み、特定秘密保護法、原発再稼働、解釈改憲による集団的自衛権行使容認と暴走を続ける安倍晋三首相。近年稀に見る"独裁"ぶりである。
一方で、安倍政権の支持率は高止まりのままだ。それは「何を大切にするか」という社会の指標が変化していることを意味するのではないか。いまあらためで私たち自身が問われている。


安倍晋三首相の一番の危うさは、その独善性にあると思います。感情的に激しやすく、考えの違う相手と対話を通じて意見をすり合わせ、折れるところは折れて、合意を形成する能力が乏しい。立場の違う相手の身になって考え、相手の側の言い分にも「主観的合理性」があるのではないか、それは何かと想像力を働かせることができない。

こういう合意形成力の欠けた政治家はかつての自民党であれば、総理大臣になれたはずがない。それがなれるという点に今日の危機があります。何が変わったのか。左派は安倍首相の改憲志向や特定秘密保護法制定、集団的自衛権の行使を「右傾化・軍国主義化」というふうに復古的な動きととらえているようですが、それでは外交的失敗にもかかわらず高止まりしている支持率は説明できない。国民は安倍首相のいったい何を気に入っているのか。「国民国家の株式会社化」という政策の方向が40代男性を中心とした国民層を惹きつけているのだろうと思います。

つまり、株式会社と同じく、経済成長がそのまま唯一無二の国家目標に掲げられる。社会制度はすべて経済成長に資するかどうか、平たく言えば「カネ儲けしやすい制度であるかどうか」を基準にしてその適否が判定される。民主主義的制度がめざす対話による合意形成、少数意見の尊重、弱者救済、富の公平な分配などはいずれも効率的な意思決定・効率的な「カネ儲け」にとって障害となります。

だったら、そんなもの止めてしまえ。それよりトップに権限も情報も資本も集中して、上意下達で効率的に政策を起案し、実現してゆく方がいい。「決められる政治」や「ねじれ解消」をあれほどメディアがうるさく言い立てたのは、民主的な合意形成システムは「もう止めよう」という国民的気分が現に存在しているからです。有権者が反民主主義的政策に対して強い抵抗を示さなかったのは、「トップが全部決めて、下はそれに従うだけ」という仕組みが彼らの多くが現にそこに身を置いている株式会社のシステムそのままだったからです。

国家の株式社化に加担するメディア

農村人口が50%を占めていた時期であれば、「国民国家の株式会社化」というような政策が支持を集めることはありえなかったでしょう。時間をかけて合意形成をはかり、共同財産(入会地)を共同管理し、脱落者を出さないように相互扶助するという民主制の発想はたぶんに村落共同体的なものでした。でも、21世紀の今、有権者の過半は株式会社の従業員です。生まれてから株式会社でしか組織人経験をしたことがないという人がおそらくすでに労働者の過半数です。彼らにしてみれば、民主制の方がむしろ違和感がある。取締役会の議事録を公開したり、経営方針の決定に従業員の賛否を問うような株式会社は存在しませんから。ですから、「国家が株式会社のようではない」ことに気持ちの悪さを感じている。地方自治体の組織を指して「民間ではありえない」と言った市長が大阪にいました。彼が当然の前提としていたのは「すべての組織は(学校も医療機関も劇場も福祉も自治体も国家も)株式会社のようでなければならない」ということでしたが、それが「変だ」と抗議する有権者はほとんどいませんでした。

選挙のたびにメディアは「街の声」を拾い上げますが、そこで語られるのはほとんどつねに「政治のことはいいから、景気をなんとかしてほしい」です。そういう声ばかりをここ数年取り上げてきた。政体なんかなんでもいいから、「とにかくカネが欲しい」という本音をメディアは「国民の生活実感」として伝えることで、国家の株式会社化に加担してきました。安倍首相の支持率が落ちないのもアベノミクスが「カネ儲けしやすい国家」を目指していることが有権者に好感を持たれているからです。「民主主義とカネと、あなた、どっちがたいせつなんです?」と畳みかけられて、「カネ」と答えるのが庶民の生活実感であり、政治的批評性なのだと国民の実に多くが信じ込んでいる。

今の政府はしだいに「ワンマン経営者が仕切る会社」に似てきました。イエスマンしか出世できない。トップの経営方針に反対する人間は左遷されるか馘首(かくしゅ)されるので、口をつぐんでいる。選挙の候補者選定の段階ですでに執行部は「イエスマンしか公認しない」という方針を掲げています。新卒社員の採用と変わらない。だから、特定秘密保護法のような、かつての自民党であれば党内が割れるほどの激論になったはずの事案についても官邸に逆らう代議士が一人もいない。事実、過去2 回の選挙(2012年12月の総選挙、13年7月の参議院選挙)でメディアは政権与党である民主党については「党内の議論がまとまらないこと」を執劫に批判しました。執行部の指示に全員が従い、一糸乱れず党議拘束のとおり投票する政党こそが望ましいという世論操作にメディアも深く加担してきたのです。制度改革はまず政党の株式会社化から始まり、それはすでに達成されたようです。

5年以上先の話なら何をしても「関係ない」

「民主制を守ることより効率的にカネもうけをすることの方が優先順位の高い政治課題である」ということが総理大臣からグローバル企業の経営者からサラリーマンに至るまでのひそやかな合意事項となりました。安倍首相がどれほど反民主主義的な言動をしても、海外メディアは批判を浴びせるけれど、党内ではまったく問題にされず、内閣支持率が下がらないのは、そのせいです。

政治家は本来「国家百年の計」を考える仕事ですが、安倍政権は原発再稼働への前のめりの姿勢からわかるように、短期的な利益にしか関心がありません。株式会社というのはそういうものだからです。株式会社の社会的影響力は株式時価総額で考量されますが、一定の影響力を持ちうる期間(トップ100 社にランクインしている期間)は平均5年にまで下がっています。つまり、株式会社というのは「平均寿命5年の生き物」として経営方針の適否を判断して行動するものだということです。仮に原発事故が起きても、大気や水が汚染されても、森林が乱伐されても、農産物が自給できなくなっても、それが5年以上先の話なら、株式会社にとっては「関係ない話」なのです。それよりは次の四半期の収益の方がはるかに緊急性が高い。

グローバル企業はすでに無国籍産業です。株主も外国人、経営者も外国人、生産拠点も海外、従業員も外国人であるような企業は日本列島の環境を保全したり、日本人の雇用を創出したり、日本の地域経済にトリクルダウンしたり、日本の国庫に法人税を納税することを義務だとは感じていません。だから、日本で原発を稼働させて、それがまた事故を起こしたら、汚染された列島を捨てて、また別の電力コストの安い地に生産拠点を移すだけの話です。企業の論理からすれば当然のことでしょうが、そのような人々に国政の舵取りを委ねることを私は望みません。けれども、今の日本はそうなりつつある。

安倍政権の理想はシンガポール

「国民国家の株式会社化」の最大の成功例はシンガポールです。シンガポールの国家目標は経済成長です。それだけ。だから、すべての社会制度は「カネ儲け」に役立つかどうかだけを基準に設計され
ています。だから、事実上の一党独裁であり、権力は世襲です。集会・結社・言論の自由はありません。労働運動も学生運動もありません。「上」に話を通せば、トップの指令がたちまち現実化します。立法府での議論などで無駄な時間は使わない。ですから、企業が活動するのにシンガポールほど便利なところはないと言われています。これが安倍政権のめざす理想の国家像です。特定秘密保護法はシンガポールの国内治安法制(反政府的な人物を令状なしで逮捕拘禁できる)をめざしたものです。

しかし、シンガポールが必死で経済成長に国運を懸けるのは、それ以外に生き延びる道がないからです。シンガポールは食物もエネルギーも自給できない。水資源さえない無資源国家です。交易でカネを稼ぐ以外に立国できない。日本は違います。豊かな森林や生態系、多様な農産物、温泉を始めとした観光資源といった、世界がうらやむような膨大なストック(蓄積)がある。食糧だって自給しようと思えば自給できる。経済成長のために民主制を廃絶したり、自然破壊をしたりしなくても、豊かなストックを有効活用していけば、十分にやっていける国なのです。でも、それだけの「負けしろ」が日本にはあるということを、経済成長主義者たちは決して認めません。そして、日本が「シンガポールのようでないこと」をあたかも社会の後進性であるかのように憎々しげに語ります。

経済成長と国民の幸福は相関がない

TPP(環太平洋戦略経済連携協定)によって農林水産業は壊滅的打撃を受けるでしょうが、政府がさっぱりそれに危機感を持っていないのは、それがむしろ歓迎すべき事態だからです。第一次産業がなくなれば、自然環境の恵みによって生活することはできなくなる。そうすれば、地方は疲弊し、人々は地方から都会に出て働くしかなくなる。豊かな自然という「逃げ場」がなくなれば、日本人はもう賃労働以外に生きる術がなくなる。首都圏への一極集中によって人工的にシンガポールや香港のような都市を作り出そうとしているのです。

でも、実際には経済成長は国民の幸福とはほとんど関係がありません。欧州の成熟国家はもうほとんどがゼロ成長あるいはマイナス成長です。それでも国民一人あたりGDP は高い。一方、2012年の経済成長率トップはリビア、2位がシェラレオネ、3位がアフガニスタンです。内戦やクーデターが起きている国がトップ3を占めている。それは成長率と国民の幸福の聞には相関がないということを意味しています。

安倍政権は経済成長を国家目標に据え、国民国家の株式会社化を進めることで、彼自身の個人的な政治的幻想(さしあたりは民主主義と立憲主義と平和主義の否定)を実現しようとしています。有権者の多くは「経済成長しなければ日本は滅びる」という物語を刷り込まれているせいで、国民国家の株式会社化路線に対しては好意的です。

しかし、繰り返すように国民国家は経済成長のために存在しているのではありません。国民国家の国家目的は「存続すること」それだけです。「成長か死か」というような気楽な台詞が言えるのは、法人擬制としての会社がつぶれても自分は死なないと思っている経営者だけです。国家が「死ぬ」ということはたくさんの人間が死ぬということです。政府が「成長できないなら、死ぬ方がましだ」と愚劣で破滅的な政策を採択しないようにするための装置として、民主主義があり、立憲主義があり、平和主義があるのです。それを守らなければなりません。

 

 

 

 

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