底辺への競争
自由貿易の罠から抜粋

これまで、自由貿易は、後発国からは経済発展を妨げるものとして非難されこそすれ、少なくとも先進国には恩恵をもたらすものと理解されてきた。しかし、アラン・トネルソンは、2002年に著した『底辺への競争』において、自由貿易はアメリカの生活水準を押し下げているという主張を展開し、グローパリゼーションの推進を唱える当時のクリントン政権や多くの経済学者たちを激しく批判したのである。

トネルソンは、1980年代以降のグローバリゼーションが、新たな貿易のパターンを生み出したことに着目した。その新たな貿易パターンとは、次のようなものである。

アメリカの企業は、コストを削減するために、低所得閣に資本財や中間財を輸出し、低所得国の低賃金労働者を活用して、それらを用いて工場を建設したり、最終製品を生産したりする。こうして低所得国で組み立てられた最終製品を、先進国市場、特にアメリカに輸出するのである。企業は、このようにして、グローバリゼーションを利用して製品の低コスト化を実現し、価格競争力を高めるようになった。

しかし、問題は、資本財や中間財の輸出という貿易パターンは、アメリカの労働者の雇用を創出したり、賃金を上げたりする効果をほとんどもたないということである。向じ輸出でも、資本財や中間財の輸出は、かつてアメリカ国内の労働者たちを雇用していた最終製品の製造という仕事を、発展途上国に外注しているに過ぎないからである。特に、相対的に高賃金を払ってきた製造業が海外に流出することになり、アメリカの労働者の賃金は上がらなくなってしまった。

企業が多国籍化し、その生産工場をメキシコや中国、東南アジアなど、海外の低所得国に容易に移転するようになると、アメリカの産業空洞化は進展した。多国籍企業は、海外に生産工場を移転した後も、グローバル市場で激しい低コスト競争にさらされ、さらに労働コストの低い低所得国へと移転していくようになる。企業の工場が実際に海外に移転しなくとも、移転するかもしれないという可能性だけで、それが賃金上昇圧力を抑える脅しとなるのである。

このような事態に対し、クリントン政権の労働長官であったロバート・ライシュは、労働者の再訓練や再教育を進めるべきだと主張した。しかし、ライシユの議論は、グローバル化した世界における新興国の労働力を過小評価するものである、とトネルソンは批判する。今日では、グローバルな先進技術の普及や資本移動により、低コストだが高い技能をもっ労働者が豊富に存在するようになっているのである。アメリカの労働者の技能が優位にあるのは、もはや、高度に技術集約的・資本集約的であるため一般労働者の一雇用先にはならないような産業しかなくなっているのだ。

このような現実にもかかわらず、グローバリゼーシヨンの恩恵を信じて疑わない経済学者などは、新興国経済が発展すれば、その国民所得が上昇し、新たな消費市場となるであろうと期待している。中固などに消費市場が生まれれば、アメリカは、その巨大な消費市場に向けて輸出をすることで、貿易の利益を拡大することができるだろうというのである。

しかし、このような期待は楽観に過ぎるとトネルソンは一蹴する。

なぜなら、第一に、新興諸国の労働余剰はあまりに巨大なものであるため、これらの国々における賃金はそれほど大きくは上昇し得ない。

第二に、新興諸国の政府の多くは、自国に一大消費市場を創出させたいなどとは思っていない。むしろ彼らは、貯蓄と投資を促進し、輸出を拡大することこそが、長期的な経済発展のための最善の手段であると信じており、消費や輸入を促進しようという気がない。とりわけアジアの新興国があれほど資本を蓄積することができているのは、国内消費を抑制しているからに他ならない。

こうして、先進諸国の製造業は、新興国との勝ち目のない価格引き下げ競争に巻き込まれ、自国の一般労働者の所得水準そして生活水準を半永久的に引き下げざるを得なくなる。これが、グローバリゼーションが引き起こす「底辺への競争」なのである。

‥‥



 

 

 

 

 

inserted by FC2 system