以下は内閣官房参与(防災減災ニューディール担当)、藤井聡氏著「巨大地震Xデー」から抜粋

東日本の太平洋沖で発生するM8 クラス以上の巨大地震は、過去2000 年の間に「4回」起こったが、それらはいずれも、日本列島の各地で大地震が起こる「地震活動期」のただ中で起こっている。その4回のすべてのケースにおいて、首都圏では10年以内に、西日本でも18年以内に必ず大地震が起こっている。そして、西日本の4回の大地震のうち、3回がいわゆる南海トラフであった(残りの1回は、観測史上最大の内陸型地震)。 



今、多くの日本人は、首都直下地震や南海トラフ地震といった「巨大地震」が、いつ起きても仕方がない状況にあることを、頭では理解している。

テレビニュースや新聞では時折、「巨大地震の被害は220兆円」「死者は32万人にも上る」といった凄まじい水準の数字が踊っているので、それを目にしたことがある人も多いだろう。

そんな恐ろしい数字がどれだけ報道されようとも、その数字が意味する内容を、実感をもって心ではっきりと理解している人は逆に、極めて少ないのではないかと思う。

いわば、巨大地震というものを、どこか「人ごと」のように感じているのが、現代の平均的な日本人なのである。

‥‥例えば、「気を抜いているとき」に後ろから殴りかかられると、取り返しの付かない大けがを負ってしまうが、「身構えて」さえいれば、たいしたけがにはならない。「備え」というものは、仮にそれがわずかであっても、被害を随分と軽減するものなのである。

だから、"このまま"では地震の被害は、何倍、何十倍にも膨らんでしまうことは、火を見るよりも明らかなのだ。

多くの人々の命が失われると共に国内産業は激甚被害を受け、日本経済は長期的に低迷し、街は失業者であふれる。復旧のための出費はかさむ一方で、低迷する経済の中で税収は極端に減ってしまい、財政は今とは比べものにならないくらいに悪化する……。

財政規律を守ることにあまりに固執すると、将来の財政悪化をもたらすのである。「短期的な合理性」の追求が、「長期的な合理性」を著しく損なわせると言い換えてもいい。

それは丁度、事故を起こすことがほぼ確実だと言われているドライバーが、日頃の出費を抑えるために自動車保険に入らないようなものだ。彼は月々数万円の出費を削ったために、いざことが起こってしまうと、何千万円、何億円という借金を抱え、生涯、その借金に苦しみ続けるのだ。彼は、二度と以前の「普通の暮らし」には戻れない。

筆者は、我が国もまた、この不幸なドライバーのように、十分な備えをしないままでいれば、早晩起こる巨大地震によって、今のような「普通の暮らし」がもう二度とできない国になってしまうであろうことを、ほとんど間違いのないことと予期している。

なぜなら筆者は今、安倍内閣の内閣官房にて、参与として日々、巨大地震によって如何なる深刻な事態が生じるのかを、様々な専門家と共に、様々な角度からシミュレートし続けているからである。

そんな筆者から見れば、我が国の政・官・財・学におけるあらゆる取り級みのすべてが、哀しいかな、「滑稽」に見えて仕方がないのだ。巨大地震により巨大な被害が生ずることが確実であるにもかかわらず、皆でよってたかって、集団で、その迫り来る危機を無視し続けているからである。

それはさながら、川の水が急激に増えて、水没することが明らかな川の中州で──数分後に自らの命が奪われることを知らずに──冗談を言い合いながらバーベキューを楽しんでいる若者グループのようだ。

それは哀しくも愚かしい、集団心理の悲喜劇だ。

‥‥こうした最悪の未来を避けるために必要なことは、たった1つしかない。
1人でも多くの国民が、巨大地震が起こったときに、何が起こるのかを深く「想像」することだ。

災害の悲劇は、想像力の欠如がもたらす。

中州の若者達の悲喜劇も、彼等の想像力の欠如がもたらすものだ。彼等に、自分が死ぬことを想像する力さえあれば、いとも容易く自らを救えるはずなのだ。

だから今の日本も、「巨大地震によって、この国が如何にして潰れるのか」ということを、多くの国民が正確にイメージできさえすれば、救われるのである。

 


───── 中略 ─────


以下、45の起こしてはならない最悪の事態から8つを抜粋。


■津波による大量の死者

政府は、南海トラフ地震の際、最悪のケースでは死者が32万人にも及ぶと試算している。

この32万人には、既述の建築物の倒壊や火災による死者も含まれているが、それは全死者数の一部にしか過ぎない。

実は、その大半を占めるのが「津波」による被害である。32万人の7割にも及ぶ、23万人もが、津波による死者として推計されているのだ。

あの3.11での巨大津波の映像を何度も目に焼き付けた多くの日本国民にとって、こうした巨大被害をイメージすることはさして難しくないのではないかと思う。あの東北の街々を襲った巨大津波が、今度は三大都市圏や、東海道の大都市群をはじめとした広大な地域に襲いかかると想定されているのである。仮に津波の規模が3.11のそれと同程度であったとしても、地域が違えば被害は何倍にもなるのである。しかも、最悪のケースにおいては、津波による浸水域の面積は、東日本大震災のそれの1.8倍にも及ぶこととなると推測される。したがって、その被害の規模は軽く10倍を超える水準に届くこととなるのである。

その被害の程度を地域別に見るなら、最も激甚な人的被害を受けるのが静岡県で、最悪約11万人もの死者が予想されている。これは、実に静岡県民の35人に1人、という凄まじい規模である。

津波の高さは、広い範囲で高さ20メートル前後、最大は高知県土佐清水市と黒潮町の34メートルとされている。

また、多くの東京都民や大阪府民が十分に認識していないのではないかと思われるが、東京や大阪でも、3〜5メートル程度の津波が危倶されている。この3〜5メートルという津波の高さは、20メートル、30メートルという超大型の津波に比べれば確かに低いものではある。しかし、大阪や東京の臨海部の様々な施設を破壊し、多くの人々の命を奪うに、十分な高さなのである。

なお、こうした津波被害は、人々が迅速に「避難」するのなら、大きく低減させることができる。

例えば、3.11の2万人近くの犠牲者の大半は津波でその命を奪われてしまったのだが、そのことはつまり、かの巨大地震が起こり、その揺れが止んだ時点では、彼等は皆「生きていた」ということを意味している。

もちろん、様々な事情で避難することができなかった人々がその中に含まれていたことは論をまたないとしても、その津波による犠牲者のかなりの割合の人々の命は、彼等が迅速に「避難」しさえすれば救われたはずなのである。

実際、南海トラフ地震による津波の死者数は、迅速な避難さえかなうのなら、犠牲者数を5分の1にまで激減させることができるであろうという試算が、政府より公表されている。

迅速な避難が行われるか否かは、人々の普段の訓練や津波というものについての科学的理解や危機意識などに大きく依存するものであるが、それのみならず、人々に適切な情報伝達が行われているか否かにも、大きく依存している。したがって、適切な避難情報を伝達するシステムの不在は、津波被害を極大化してしまうこととなる。


■迅速な「救援」がてきず、犠牲者が拡大する

以上、巨大地震時に想定される「1.国民の生命が失われる」という事態の、より具体的な内容について概説したが、これに勝るとも劣らぬほどに深刻なのが、被災した大量の人々に対する「2.救助、救急ができない」という事態である。

そもそも巨大地震による犠牲者は、そのすべてが地震や津波で「即死」に至るわけではない。ガレキの下敷きとなり、迅速な救援が来なかったために失われてしまう命、適切な医療ができなかったが故に失われてしまう命も、夥(おびただ)しい数に上ることが危倶されている。

首都直下地震や南海トラフ地震が起これば、既述のように、民間住宅や高層ビルや駅等が倒壊する。これらの倒壊では大量の死亡者が出るのみならず、その数をさらに上回る夥しい数の「負傷者」が発生する。

1人でも多くの国民の命を救うためには、被災地に一刻も早く救援部隊を派遣しなければならない。しかし、首都直下地震の場合には、関東平野の広い地域で同時に「700万人」という、首都圏人口の5人に1人もの大量の人々が避難者となる。となると、必ずしも迅速に自衛隊、消防、警察等の救援部隊がすべての被災者の下に駆けつけることはできない。

南海トラフ地震にいたっては、避難者数は「950万人」と、実に1000万人近くにも及ぶと想定されており、避難者数の膨大さだけでなく、被災地が東京から九州に至る超広域に及ぶが故に、現状のままでは、救援部隊が駆けつけることができない地区がいたるところに出てきてしまう。

こうした、救援が不十分になるという最悪の事態は、実に様々な原因で生じ得る。

第1に、既に示唆した通り、救援部隊、医療班の絶対数そのものが不足しており、何百万人という大量の避難者数に対応仕切れないという問題がある。

第2に、ただでさえ、そうした事態が危慎されるのに、「警察署や消防署が被災」してしまい、救援部隊がさらに不足してしまう可能性もある。

第3に、救援部隊が助けに行くために必要なガソリン等のエネルギーが途絶えてしまうことでも、救援活動が著しく不十分なものとなってしまうことが挙げられる。

第4に、避難路がすべて絶たれてしまって生ずる「孤立集落」が全国各地に同時発生してしまえば、さらにその対応が困難になる。こうした4つの事態は、いずれも十二分以上に生じ得るのであり、この事態のいずれか1つでも生ずれば、死者数はさらに拡大してしまうことになる。


■大量の「避難者」に必要物資が届けられず、長期的に被害が拡大

中長期的な視点で考えると、さらに深刻な事態も考えられる。

2013年のフィリピンでの大型台風災害時のような、被災地における深刻な食料・水不足の可能性だ。既述のように、700万人や950万人という避難者が出た場合、当然のことながら大量の水と食料の供給が必要となる。しかしながら、十分な水と食料の供給は著しく困難である。

まず、水道が被災し、当面の問、水道が使えなくなってしまうことが予期される。食料にしても、多くの食料工場が被災し、食料供給が著しく困難となることも危惧される。

例えば首都直下地震について考えるなら、首都圏の人々に日々供給されている食料の多くが、首都圏内の食料工場で作られている。ところが、その食料工場の多くも被災してしまい、食品生産ができなくなると、首都圏の被災者の食料は、瞬く間に不足してしまうと危惧されているのである。

もちろんその場合には、被災地以外から食料を供給することが必要となる。しかし、数百万人分もの食料が、被災地外にて毎日着実に調達できるとは限らないし、仮に一定程度調達できたとしても、それを運ぶための道路そのものが十分に生き残っている保証もないのである。

一般に、道路沿いには夥しい数の電柱が設置されているが、それらは地震時にはいともたやすく倒れ、道路を塞いでしまうこととなる。同様に、道路沿線にビルがあれば、同じく道路はガレキに埋もれてしまい、閉塞してしまうこととなる。

もちろん、こうした状況は、建設重機を用いた「啓開」という作業を行うことで、応急復旧を遂げることができるが、逆に言うなら、少なくともその啓開作業が完了するまでは、道路は使えないままとなってしまう。

さらに言うなら、橋梁が落ち、トンネルが塞がってしまっているようなケースでは、その復旧には相当程度の時間がかかってしまうことは避けられない。そして全く同様の理由で、医薬品や医療班、さらには石油やガソリンなどのエネルギーが現地に長期間にわたって到達しないケースも十二分に考えられる。

そうした事態が長期間続けば、適切な医療行為ができなくなるばかりではなく、例えば冬季であるなら十分な暖を取ることができず、大量の人々の健康維持が困難となる。最悪の場合には疫病や感染症などが大規模に発生することも十分に想定される。


■「コンビナート災害」がもたらす、最悪の悪夢

こうした電力供給の問題が発生したのは、東日本大震災のときの福島第一原発の事故に象徴されるように、「臨海地域」における津波被害によるものであった。

しかし、今、危慎されている南海トラフ地震、首都直下地震は、臨海地域に対して、東日本大震災がもたらした被害をはるかに上回る被害をもたらすであろうと強く懸念されている。

なぜなら、南海トラフ地震、首都直下地震が襲いかかる臨海地域は、東京湾、大阪湾、名古屋湾という、巨大な「コンビナート」が作りあげられた地域だからである。

例えば、東日本大震災では、東京周辺の地域に対しては震度5程度の揺れだったにもかかわらず、東京湾のコンビナートは大きく被災した。千葉県の石油コンビナートは、大火災となってしまったのである。この千葉県の石油コンビナート以外にも、東京湾各地の、化学工場や製線工場等で火災が発生している。

この実例を踏まえるなら、首都直下地震が起これば、さらに凄まじい被害が、東京湾の臨海部にて生ずることは、文字通り、火を見るよりも明らかである。

臨海部のコンビナートが大きな被害を受けるであろう理由としては、次の3つが挙げられる。

第1に、臨海部は埋め立て地である。したがって、地盤がそもそも緩い。緩い地盤は、硬い地盤よりも大きく揺れるため、その上に作られた建物が破損する可能性が、格段に高くなってしまう。なお、石油タンクにおいては、そうした揺れのために、内部の石油が大きく揺れる現象(一般に、スロッシングと呼ばれている)が起こり、タンクの屋根を突き破って外にこぼれ落ちることが危慎されている。そうなれば、仮に転倒しなくとも、大規模な火災が生ずる可能性がある。

第2に、埋め立て地の場合は、地震の揺れによって「液状化」してしまう危険性が高い。液状化とは、地震の震動によって、それまで硬かった地盤が、ドロドロの液体のようになってしまう現象であり、埋め立て地を中心として発生する現象である。つまり、臨海部に建てられた建物は、地盤の緩さ故に、より強烈な震動にさらされると同時に、地盤そのものが液状化してしまい、わずかな揺れでも、大きな被害がもたらされることとなる。かくして、東日本大震災の折り、「震度5」の揺れだったにもかかわらず、石油タンクの大火災をはじめとして、様々な工場の火災や倒壊、転倒などの被害が、東京湾岸で生じたのである。

そして、コンビナートが激甚被害を受けやすい、第3番目の理由は、言うまでもなく「津波」である。東日本大震災の折りには、東京湾では、大規模な滞波被害が見られなかったものの、来たるべく首都直下地震では、東京湾に津波が訪れる可能性も危惧されている。南海トラフ地震でも同様に、津波が大阪湾、名古屋湾に到達する可能性が危惧されている。

さて、これらの危惧を実際に重ね合わせて考えれば、さらに次のような、深刻な事態が生ずることが予期されることとなる。

すなわち、液状化で倒壊したタンクを津波が製い、その結果、広範囲に油が流出し、しかも、それに引火し、東京湾が一面「火の海」となる。いわゆる、「東京湾炎上」という悪夢が現実のものとなる可能性が危惧されているわけである。この点について、元土木学会会長、早稲田大学の濱田政則教授は、次のように発言している。

「東京湾にはスロッシングの起きやすい浮き屋根式タンクが600基あります。M7規模の首都直下型地震が発生すれば、その約1割で油漏れが発生し、海上火災が起きると私は想定しています」

これと同様のことが、東日本大震災の折り、実際に起こった。気仙沼湾で、流出した重油や軽油が炎上して2日間燃え続けたのだ。無論、東京湾、大阪湾、名古屋湾は、気仙沼湾よりも、そのコンビナートの規模は格段に大きい。したがって、それらの海が炎上すれば、その規模は、気仙沼のそれをはるかに上回ることとなるのは間違いない。

仮にこうした大火災が起きなくとも、湾内への大量の油の流出は、沿岸部の数々の火力発電所が長期間停止に追い込まれることを意味する。なぜなら、油が混じった水を火力発電の「冷却水」に使うことができなくなるからである。最悪のケースでは、そんな状態が2カ月も続くことがあり得るとも指摘されている。

そうなれば、湾岸地域からの火力発電が、同じく2カ月間も停止することとなり、首都圏において圧倒的な電力不足が生じ、先に説明したサプライ・チェーンの長期間の毀損を通した経済被害や、電力不足による適切な医療が不能となるなどの、深刻な事態に陥りかねないのである。


■港湾・空港が長期間使えなくなる


このような大都市港湾の大型被災は、エネルギー、電力供給の長期間の停止をもたらすのみならず、臨海部の膨大な産業施設を破壊することとなる。

しかもそれと同時に、「港」、さらには場合によっては「空港」もまた、長期間使えなくなることを意味するものでもある。
 
例えば、東日本大震災では東北地方の太平洋沿岸を中心に約29港が被災した。多くの港で、コンテナをはじめとした様々のものがガレキ化し、湾内に流出、沈下した。そのため、暫く港が使い物にならなくなった。その結果、製品の出荷や物資の調達が難しくなり、世界的なサプライ・チェーンにも影響を及ぼした。
 
あるいは、阪神・淡路大震災のときには、津波は起こらなかったものの、激しい地震で港湾施設そのものが破壊され、同じく港が全く使い物にならなくなってしまった。さらには、港へのアクセス道路もまた被災し、その復旧のためには相当の時間が必要となった。事実、完全復旧を果たすのには、2年以上の歳月がかかったのであった。
 
神戸港は、我が国のコンテナ貨物の約30%を取り扱っていた日本の超重要港湾の1 つであった。それが2年間、十分にその機能を発揮し得なかったことは、神戸の経済や市民生活だけでなく、わが国全体の物流や経済にとっても深刻な影響をもたらし、かつ、その被害は文字通り「取り返しが付かない」ものとなったのであった。

何が「取り返しが付かない」のか? それは、神戸に寄港していたヨーロッパやアメリカなどとの間の大型のコンテナ船等の航路である。震災後、そうした大型船の多くが釜山や上海に寄港するようになってしまったのだ。そして、あろうことか、神戸港が「完全復興」した後になっても、残念ながら、その多くが二度と神戸港には戻ってこなかったのである。
 
すなわち、かつては直接日本にやってきた多くの大型船が、震災後、釜山や上海に寄港し、そこで小型の船に積み荷を乗せ替え、その後に日本の神戸以外の全国の中型の港湾に輸送するようになったのである。
 
これはつまり、日本人が輸出入するたびに、釜山や上海の港湾関係者に「手数料」を余分に払うようになったことを意味している。いわば、神戸の震災を契機に、日本人のおカネが、貿易をするたびに自動的に釜山や上海に少しずつ奪われていってしまう構造へと転換してしまったわけである。
 
こうした経緯を経て、神戸港のコンテナ取扱量は、1980 年代には世界第4位であったにもかかわらず、現在では実に第49位にまで、過激に凋落してしまったのであった。
 
さて、以上は過去の震災が、「港」に及ぼした被害の事例であるが、これよりもさらにひどいことが、来たるべき巨大地震において危惧されている。
 
阪神・淡路大震災のときに被災したのは、神戸港1港であったが、今度の南海トラフ地震では、静岡から九州に至る地域の大小様々な大量の港湾が──東日本大震災のときと同様に──激甚被害を受ける。しかも、南海トラフ地震は、東京、大阪、名古屋の3大港湾を含む大規模港湾を直撃するものであることから、神戸港のみが被災した阪神・淡路大震災よりもはるかに大きな被害を日本の港湾システムが受けることとなるのだ。
 
そうなったとき、日本の国際貿易が受ける被害は計り知れないものとなる。
 
まず、それら港湾が復旧するまでの間、国際貿易が著しく滞る。それだけでも日本は大きな経済被害を受けることとなるが、かつて神戸港に寄港することになっていた航路が、震災をきっかけに近隣諸国の港へと転換してしまうような事態が再び起こることも危慎される。そうなれば、震災の被害は、仮に数年後に復旧、復興を遂げた後にも長期的に持続してしまうこととなるのだ。
 
だから──これから訪れる巨大地震が、日本の国際貿易に巨大被害をもたらすことは必定的と一言って、何ら過言ではないのである。


■全国各地で、食料が不足するようになる

巨大地震は、経済に深刻な2次被害をもたらす可能性を持っているが、国民にも、その巨大な2次被害をもたらす可能性を秘めている。

なぜなら、日本中で、食料不足が生ずる可能性があるからである。

先に指摘したように、大都市住民の食料品は、その多くがその都市内の工場で作られている。そしてその食料品は、その都市周辺にも移出されている。

このことはつまり、巨大地震によって、日本国民に対する食料供給能力が著しく低下してしまい、暫くの問、被災地のみならず、非被災地においても食料不足が生じてしまう可能性があることを示している。

そうした懸念が広まれば、人々は全国各地で水・食料の買い占めに走り、より深刻な食料不足状態が発生してしまうことが危倶される。

例えば、ご記憶の方も多かろうかと思うが、3.11のとき、首都圏で「水がなくなるかもしれない」という噂が広まり、都内のコンビニ等から瞬く間に、ミネラルウォーターが消えてなくなった。

3.11のときの首都圏と言えば、東北地方に比べればさして大きな被害を受けてはいなかった。だが、そんな状況下ですら混乱が生じたのであるから、700 万人もの避難者が出る首都直下地震では、首都圏において深刻な水・食料不足が生ずることは想像に難くない。

それと同様に、首都圏以外の大阪や名古屋を含めた日本中の街々で水・食料が不足する事態が生じると共に、人々の買い占め行動のために、水・食料不足がさらに深刻化することが懸念されているのである。


■電力、石油、ガスが止まる

ここまで、巨大地震による人的被害や経済被害について述べたが、その多くが、電力や石油、ガスといったエネルギーが途絶えてしまうことで引き起こされるものであった。

また、交通が遮断されることで、同じく震災による各種被害が拡大していく構造も存在した。

したがって、より長期的広域的な視点で見据えるなら、「エネルギー供給、交通等が途絶える」という事態が、我が国にとって深刻な影響を及ぼすのは不可避だ。

中でも電力の供給は、あらゆる生産活動、経済活動、医療活動を支えるものであり、寸断は是が非でも避けなければならないものではあるが、3.11の大震災の経験を持ち出すまでもなく、巨大地震の際には、予期せざる突然の「停電」、あるいは「計画停電」が生じ得る。

それを踏まえたとき、停電が深刻な影響をもたらす工場や病院、放送局、金融システム、政府機能といったものについては、停電の発生を自明の前提としつつ、それでもなお電力が調達できる体制を作っておくことが必要である。

その典型的な方法が、自家発電システムを設置すると共に、それを駆動するための燃料を一定量備蓄しておく、という方法である。

ただし、停電が数日、数週間と続いた場合、その自家発電を動かすための燃料が底をつくかもしれない。そのときに重要となってくるのが、その燃料自体を、被災地の各重要施設に供給していく体制を整えることである。

ところが、大混乱に陥っている被災地の中で、それら「枢要施設の発電所」へのガソリンやガスの適切かつ十分な提供は必ずしも保証できない。そもそもガソリンやガスの供給のためには交通ネットワークが機能していることが前提であるが、それ自身が機能不全に陥っいることは十分にあり得るからである。

したがって、ガソリンやガスが長期間、供給されることがなければ、せっかく自家発電システムを持っていたとしても、結局は、電力が途絶え、深刻な社会的経済的被害が生ずる。

こうした意味から、我々のこの近代社会は、様々な文明の利器を動かし続けるための、電気、ガソリン、ガスといった基本エネルギーを、巨大地震後も安定的に供給し続ける体制を作りあげることが求められているのである。

なお、以上は巨大地震をイメージしつつ論じたが、エネルギー供給停止それ自身は、火山の噴火や洪水、捜査員の人的ミスに伴う事故やテロなど、様々な要因で発生し得る。「エネルギーの安定供給」を企図するためには、そうした様々なリスクの1つひとつを十二分に想像する姿勢が求められている。


■国家経済の甚大な影響

「2次被害」の中でも、とりわけ大きなものが、日本の国家経済そのものが、巨大地震を契機として大きく衰退する、という問題である。

ここまで論じてきたエネルギー供給の途絶、3大都市圏における各種生産施設の破壊や、それに伴うサプライ・チェーンの大規模損壊、港湾や道路、新幹線等の重要交通インフラの機能不全等はいずれも、日本経済の「供給力」すなわち「生産力」を著しく段損させる。

ただし巨大地震は、日本経済の供給力のみならず「需要」もまた、大きく段援させる。

第1に、震災では、被災地の経済活動全般が大きく破壊される。多くの産業が破壊され、大量の失業者が生ずる。これによって、被災地における消費水準、投資水準が低下し、直接的に「需要」が大幅に低下する。

第2に、震災によって「非被災地」に対するエネルギーや物資、食料の安定供給が不能となることを通して、非被災地の経済活動も低迷し、全国各地で倒産、失業が連鎖的に発生する。すなわち、「震災倒産」「震災失業」が生ずる。その結果、被災地と同じく「需要」が大幅に低迷する。同様に、サプライ・チェーンの破損によって、震災倒産、倒産失業が連鎖的に発生し、非被災地における需要の段損を加速する。

第3 に、大震災の被害の凄まじさに配慮した「自粛」によって、旅行等をはじめとするサービスや娯楽に関する各種産業を中心とする「需要」が大きく低迷する。

第4 に、こうした不況の長期化や、エネルギーや物資の不足などを原因として、工場の海外移転が促進され、倒産が加速され、国内の雇用がさらに失われる。その結果として、さらに需要が縮小する。

第5に、これら第1から第4を原因とする「需要の低迷」を多くの経済関係者が懸念するという「先行き不安」が国内で共有されれば、そうした集団心理学的な理由でもってさらに国内法人の「投資」が差し控えられることとなる。これもまた、さらなる「需要」の低迷をもたらす。

以上の5 つは主として国内の需要、つまり「内需」についてのものであったが、外国からの需要、つまり「外需」も、震災の影響によって、低迷することとなる。

第1 に、震災の影響で、海外からの観光客や日本からの輸出、そして、日本への投資が冷え込む。

第2 に、(国際的なサプライ・チェーンの中で)日本製品に基づいて生産していた海外の工場が、震災の影響で、日本製品を購入できなくなり、その分、だけ「日本からの輸出」が減少する。

それに加えて、計画停電の長期化によって、日本から製品が届かない状態が続くと、各国で、日本以外の国から、当該製品を調達する方向にサプライ・チェーンが組み変わるようになる。

そして、内需(日本人の需要)も外需(外国人の需要)も低下し、日本の「需要」そのものが、震災によって低下することとなる。

このように、日本経済を直撃する巨大地震は、日本の供給能力も需要能力も大きく破損させる。その結果、日本の経済規模は縮小する。


───── 中略 ─────

内閣官房という、各省庁にとってみれば外部の組織からとやかく指図されることは、必ずしも歓迎すべきものではない。むしろ「欝淘しい」ものと認識されたとしても致し方ないのが実情だ。

一方、もしも各省庁が「公益のためになすべきこと」だと考えていることの中に、巨大震災への取り組みが含まれているのなら、内閣官房からの指図は「欝陶しいもの」というよりもむしろ「歓迎すべきもの」となるだろう。

では、実態は、どうなのであろうか?

この点について、内閣官房では実際に調査を行っている。その結果──各省庁は、巨大震災で想定されている45の最悪の事態を、ほとんど十二分には「想定していない」し、それ故必然的に、巨大震災に対して求められている取り組みを「十全に行っていない」ということが明らかになっている。


 

 

 

南海トラフ地震を起こすとみられているプレート境界の巨大断層が従来の説よりも海側に延びて、より大きな津波を起こす可能性があることを、九州大学カーボンニュートラル・エネルギー国際研究所の辻健准教授とカナダのウェスタンオンタリオ大学のグループが突き止めた。

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